Wi-Fi ルーター裏のアンテナはなぜ「ただの板」なのか — Python でフリンジ電界とインピーダンスの谷を覗く
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家のルーターの裏ぶたを開けたとき、私は「あれ?」と声が出ました。
ツンと立った棒アンテナがどこにも見当たらない。代わりに、基板の隅に貼り付いている小さな金属の板が一枚。サイズはせいぜい数センチ角。表面実装の IC のように、ただペタンと寝そべっている。
「これが、アンテナ?」
電波というと、私の中ではどうしても「棒」のイメージでした。子どもの頃に車のラジオのアンテナを伸ばしてビキビキ感度が変わるのを見ていたし、テレビの屋根の上には魚の骨みたいな金属のアレが乗っていた。「電波 = 棒」。それが当たり前だと思っていたところに、急に「ただの板」が出てきた。なぜこれで電波が出るのか、しかも GHz 帯で。
この記事は、その素朴な驚きを Python の図で追いかけた記録です。難しい数式は使いませんが、専門用語からは逃げません。フリンジ電界・インピーダンス整合・アレーファクター・円偏波 — これらの言葉は、図と日常的なたとえで翻訳しながらそのまま使っていきます。
主役は Wi-Fi ルーター裏の小さな板アンテナ (パッチアンテナ) です。最後はスマホの GPS アンテナまで足を伸ばします。
1. ルーター裏の「ただの板」の正体
世の中のアンテナは、ざっくり 3 種類に分けて眺めることができます。
- 棒系 (ダイポール、モノポール): 古典的。テレビ、トランシーバ、初期の Wi-Fi ルーター
- 配列系 (八木・宇田、フェーズドアレー): 棒を並べて指向性を作る。屋根の上のテレビアンテナ、レーダー
- 平面系 (パッチ、スロット): 基板の上に金属パターンとして「描く」もの。GPS、ETC、現代の小型 Wi-Fi 機器、スマホ
私がルーターを開けて見つけたのは 3 番目、平面系のうちの「パッチ」系に見えるアンテナでした。製造的にも嬉しい部類で、銅箔のパターンを基板に焼き付けるだけ。棒のように立てる必要も、八木のように長いブームを取り付ける必要もない。スマホのような薄い筐体に押し込むにはこれしか選択肢がない、という事情もあります。
(なお、実機の「基板上の小さな板状の金属」は、純粋なパッチではなく、PIFA や IFA のように筐体や GND 面と一体化して動く別方式のことも多いです。給電構造を確認しないと厳密な判別は難しいので、この記事では「パッチ型の平面アンテナ」を代表例として、その物理を追いかける、という温度感で読んでください。)
ただ「製造が楽」というのは、なぜそれで電波が出るかの説明にはなっていません。基板に銅箔を貼っただけの薄っぺらい四角が、どうやって 2.4 GHz の電波を空中に投げ出しているのか。順番に覗いていきましょう。
2. 波を圧縮する: 12.5 cm を基板に収める
最初の引っかかりは、サイズ感です。
2.4 GHz の電波の波長 λ は、ざっくり
12.5 cm。スマホの長辺ぐらい。手のひらに乗るスケールです。
電磁気の世界には「アンテナのサイズは波長の半分くらいが効きやすい」という、よく出てくる経験則があります。半分なら 6.25 cm。ところが、ルーター裏で私が見つけた板は、長辺で 3 cm ちょっとしかない。半分にしては明らかに小さい。
ここでパッチアンテナの最初のトリックが出てきます。「基板 (誘電体) の上では、波長が短く見える」というやつです。
電磁波は真空中だと光速 c で進みますが、誘電体の中に入ると遅くなります (水の中で歩くと足が抵抗を感じて進みが鈍くなるのと、本質的には似たような話です)。物理用語で言えば位相速度が下がる、ソフトウェアの人向けに言い直すと「媒質が変わるとクロックが落ちる」。同じ周波数を保ったまま速さが落ちるので、一波の物理的な長さ — 波長 — も縮みます。
ここで一つ気をつけたいのは、パッチの場は基板の中だけで完結していないことです。板と GND の間の誘電体側にも、板の外側の空気側にも電界がはみ出していて、両方の足し算で「実効的な誘電率」 が決まります。FR-4 (比誘電率 4.4 前後) の上のパッチだと、 はだいたい 3 強 (周波数・基板厚・板形状で振れるので、ここの数値はあくまで目安)。基板の中で見た波長 は、真空中の波長の 倍、つまり 6 割ぐらいに圧縮されます (以降この記事では、「基板上で見た短い方の波長」を と呼んで進めます)。
おまけにもう一つ、後で出てくる端のフリンジ電界の影響で「電気的な長さ」は物理長より少し長く見えます ( と呼ばれる補正)。だから実物のパッチは、 ぴったりではなく、それより少し短い 3 cm 強で 2.4 GHz を狙うのが普通です。
12.5 cm の半分 (6.25 cm) を 6 割にすると 3.7 cm、フリンジ補正を引いて 3 cm ちょっと。実物のルーター裏の板のサイズと、ようやく辻褄が合ってきました。
ここまでで、「板の長辺がだいたい 」になっていることがわかりました。次は、その長辺の中で何が起きているか、です。
3. 端っこが主役 — 定在波とフリンジ電界
長辺方向に「波の半分」がちょうど収まっているとき、板の上には決まった形の電界分布ができます。両端で電界が最大、中央でゼロになる 定在波です。アンテナ屋さんはこれを「TM10 モード」と呼んだりします。
Python で雰囲気だけ描いてみるとこんな感じです。

横軸が長辺方向、色が電界の強さ (板と GND の間に立ち上がる縦方向の成分、模式図の便宜で「Ez」と呼ばせてください) です。中央は青と赤の中間、つまりゼロに近い。両端で赤と青、つまり振幅が最大になっている。
そして、ここが今日いちばん腑に落ちてほしいところなのですが、パッチアンテナから空中に放射される電波は、板の表面そのものではなく、板の両端 (= 長辺の縁) から出ているんです。
両端で電界の振幅が最大になっているとき、その電界は基板の中だけでは収まりきれず、外側に少しはみ出します。これを フリンジ電界 (fringing field) と呼びます。図の左右に描いた赤と青の矢印が、はみ出した電界のイメージです。
「はみ出し」と書きましたが、もう少し正確に言うと、板の端では近傍界が空間にしみ出していて、それが離れたところでは遠方界、つまり電波として観測される、というのがパッチアンテナの放射の正体です。「電波が漏れる」と書くとちょっと擬人化しすぎなので、近傍界が遠方界に変換されている、と言うほうが工学的にしっくりきます。
ソフトウェアエンジニアの言葉に翻訳するなら、板の端は内部状態 (基板内に閉じ込められた電磁エネルギー) と外界 (空間の電波) の境界 — いわばエネルギーの「公開 API」 に近い場所です。中央は内部の作業中で外には出てこない。端だけが、空間と接続している。
ただし、板の表面が何もしていないわけではありません。表面と GND 面の上を流れる電流分布が、端の強い場を生み出している。表面電流が裏方で、端のスロットが舞台、と言ったほうが正確です。「金属板の端と、その下の GND との間にできた隙間 (スロット) が、電波の出口になっている」 — これがパッチアンテナの本質に近いイメージです。
なお、ここで描いた図は、現象の骨格が見える最小モデル — 厳密な Maxwell 方程式の解ではなく、「中央ゼロ・端最大の cos 分布」を見せるための玩具です。実際の場分布はもう少しグニャグニャしているし、基板の上下でも違う顔をしています。ただ、「端で立って中央で寝ている」という骨格は、本物のパッチでも変わりません。
4. インピーダンスの谷 — 反射が消える点
放射の主役が「板の端」だとわかったところで、次に気になるのは「じゃあ、どんな周波数なら板はちゃんと働いてくれるのか」です。
ここでアンテナ屋さんが必ず見るのが、反射係数 のカーブです。
ピンと来ない人のために言葉でほぐすと、 は「アンテナに信号を流し込んだとき、跳ね返って戻ってくる割合」のことです。良いアンテナは、入れた信号をしっかり空中に投げ出してくれて、跳ね返りが少ない。逆にダメな組み合わせだと、入力したエネルギーの半分以上が反射として戻ってきてしまいます。
これを Python で描くと、こんな形になります。

縦軸が反射の大きさ (dB、対数なので下に行くほど反射が少ない)、横軸が周波数。注目してほしいのは、ある特定の周波数で、反射がストンと谷底に落ち込む点です。この谷の底が、そのアンテナにとっての「いちばん機嫌のいい周波数」 — 共振点です。
ここで「反射が消える」とは何かを少し補足します。水道管をイメージすると分かりやすいかもしれません。太い管と細い管を急に繋ぐと、流れの一部が継ぎ目で跳ね返って戻ってきます。電波の世界にも、伝送線路には「特性インピーダンス」という配管の太さに相当するものがあって、Wi-Fi の送信機やケーブル側はだいたい 50 Ω に揃えてあります。アンテナ側から見えるインピーダンスが、伝送線路の 50 Ω にぴったり合ったとき、つなぎ目で電気が跳ね返らずスッと抜けていきます。この状態をインピーダンス整合 (matching) と呼びます。
この図は、パッチを 直列 RLC 共振回路に置き換えた玩具モデルで描いています (アンテナの教科書だと並列 RLC のアドミタンスで語ることが多いのですが、ここでは S11 の谷を直感的に出すために直列形式で間に合わせています)。実際のパッチの中身を割り当てるとこんな対応です。
- C (容量): 板の端のフリンジ電界がつくる開放端の容量的なふるまい
- L (インダクタンス): パッチと GND 面の間を流れる電流のループ
- R (抵抗): 放射として外に出ていく分 (放射抵抗) + 導体損・誘電体損
放射に「抵抗」という言葉を使うのは少し変な感じがしますが、エネルギーが空中に出ていく現象を回路の言葉で書こうとすると「抵抗」になります。電気を熱に変える普通の抵抗ではなく、「電波という形で持ち去られる」抵抗、という意味で。
ここでひとつ、熟練者にとっては当たり前なのに見落とされがちなポイントを書いておきます。「共振する」と「整合する」は、別の話です。共振点ではリアクタンス (虚部) がだいたいゼロになりますが、そこで抵抗 (実部) が 50 Ω にちょうど揃うかどうかは、設計次第。S11 の谷がしっかり落ちるためには、この二つが同じ周波数で同時に揃う必要があります。
「じゃあ、どうやって実部を 50 Ω に合わせるのか?」というと、これがパッチの面白い設計自由度のひとつで、信号を流し込む位置 — 給電点 — を板のどこに置くかで、見える抵抗が変わります。板の縁の真ん中だと数百 Ω、内側に少し食い込ませると 50 Ω 付近、中央に向かうとほぼゼロに落ちる。設計時にこの位置をミリ単位で詰めることで、共振と整合を同じ周波数で揃えます。
図には 3 本の曲線を並べました。同じ Q 値で、共振周波数 (= パッチの寸法) だけずらしたモデルです。寸法がたった数 % ズレるだけで、谷の位置が 100 MHz 単位で動く。これがパッチの厳しさで、製造の現場では「板を 1 mm 削ったら帯域から外れた」みたいなことが普通に起こります。
ちなみに「谷が深い = 良いアンテナ」と単純には言えません。深い谷は 狭い帯域と表裏一体で、Q 値が高すぎると Wi-Fi の広いチャネル全体をカバーできなくなる。実務では「谷の深さ」「帯域」「アンテナ効率 (放射に回らず損失で消える割合)」のバランスを見ます。 だけでは「飛ぶ強さ」は決まらない、というのは覚えておく価値があります。
5. 裸電球からサーチライトへ — 床の役割
ここまでで、「板の端から電波が出る」と「ある周波数でよく出る」がわかりました。次の問いは、「じゃあ、どの方向に出るのか」です。
棒アンテナ (古典的なダイポール) の放射は、よくドーナツにたとえられます。棒に対して横方向の全方位に均等に出ていって、棒の真上と真下では弱い。家中・部屋中に電波を撒くなら都合がいい形です。
一方、パッチアンテナはちょっと違って、真上にだけ電波を集中させる性質を持っています。例えるなら、棒アンテナが「裸電球」でパッチが「サーチライト」。同じ電気を使っても、形が違えば飛び方が違うわけです。
Python で雰囲気を見てみます。3 つ並べました。

- 左: 棒アンテナ。横方向に出てきれいに「横ドーナツ」。
- 中央: パッチの「もし床 (GND 面) が無かったら」という仮想モデル。真上と真下の両方に出ます。
- 右: パッチの床あり。真上だけに合成されています。下向きの成分が消えている。
ここで効いているのが、GND 面です。
パッチアンテナは、放射する金属板と、その下の GND 面 (べた一面の銅) がセットになっています。GND 面は、ざっくり「電波にとっての鏡」として働きます。本来下に向かおうとした成分が、鏡像として上に反射されて、もともと上に向かおうとした成分と足し算される。理想的な (無限に広い) GND を仮定すると、下向きの成分が大きく抑えられ、上半球が優勢になるという重ね合わせの結果として、サーチライト型のパターンが現れるんです。
ここはちょっと丁寧に言葉を選びたいところで、「床があると電波が曲がって上に飛ぶ」みたいな書き方をすると、ちょっと誤解を生みます。正確には「下向きの成分が抑えられ、上半球で重ね合わせ的に強め合う」結果として、上向きにビームが立つ。アンテナの教科書では「イメージ法 (image method)」と呼ばれる考え方で、GND の下に鏡像の放射源があると思ってベクトル的に足し算をする、というやり方です。
ちなみに「無限に広い GND」というのは数式上の便宜で、実物の基板上の GND は当然有限です。GND が小さいとエッジで電波が回折して、後ろにもけっこう出てしまう。机の上のルーターが「真上だけ」ではなく「斜め後ろ」にも届くのは、こういう有限 GND の影響もそれなりに効いています。
棒は「ドーナツ撒き」、パッチは「上方向にサーチライト」。だから、机の上に水平に置かれたルーター内蔵のパッチが、上の階に Wi-Fi を届けるのにはむしろ向いている、ということもわかります (もっとも、現代のルーターは複数の指向性の異なるアンテナを切り替える MIMO 機構を入れているので、話はもっと複雑になりますが)。
6. 足し算で作るビーム — アレーファクター
サーチライト型のパッチをさらに並べると、ビームはもっと細くなります。さらに、並べた素子に少しずつ位相をズラして信号を入れてやると、ビームの「向き」を電気的に変えられる。物理的にアンテナを回さなくても、信号処理だけで方向を制御できる。
これがアレーアンテナで、レーダー・5G 基地局・最近の Wi-Fi ルーター (ビームフォーミング機能つきのやつ) の世界です。
物理的な要素 (1 つ 1 つのパッチ) のパターンは置いておいて、「N 個の点光源を等間隔に並べたとき、足し算でどう形が変わるか」を抜き出したものが アレーファクター と呼ばれる関数です。各素子から出る波を、観測点までの距離差 (= 位相差) を考慮して足し合わせる。これを Python でやると、こうなります。

左側、素子間隔を λ/2 にして broadside (位相を全部揃える) の状態で、素子数 N を 1, 4, 8 と増やしたものです。N が増えるほど、メインローブ (真上のビーム) がスッと細くなる。同じエネルギーを使っているのに、方向に集中させているので、ビーム方向では強くなる。これが「アンテナ利得が上がる」現象の正体です。
ここで一つ罠があって、「利得が上がる = 総放射電力が増える」ではないんです。厳密には、アレーで上がっているのは 指向性 (directivity) — 「ビーム方向に集中している割合」です。実際にユーザが嬉しい 利得 (gain) は、これに アンテナ効率 (損失で食われる分を引いたもの) を掛けたものなので、指向性が 6 dB 上がっても効率が低ければ利得はそこまで上がらない。サイドローブ (横や後ろに漏れる小さい山) は、メインローブを尖らせた代償です。
もうひとつ実装上の罠として、「グレーティングローブ」と呼ばれる思わぬ方向の強いビームがあります。素子の間隔が広くなりすぎたり、ビームを大きく振ろうとしたりすると、メインローブのそっくりさんが別の角度に現れて、意図しない方向に電波が漏れたり、レーダーなら偽の標的を映し出したりします。「走査角まで含めて安全側で設計するなら、間隔はおおむね空中の波長 の半分以下が定石」というのが、実務的によく言われる目安です (基板上の短い ではなく、空間に出ていく波の 基準。どこから出るかは走査角や次元で変わるので、ここは厳密な閾値というよりは安全マージンの話です)。
右側がいっそう面白いところです。N=8 のまま、各素子に入れる信号の 位相を少しずつズラすと、メインローブが横に振れます。0°、-20°、-45° と、信号処理の値を変えただけで、空中に飛ぶビームの向きが変わる。アンテナそのものは固定されているのに、です。
これがフェーズドアレーの基本原理で、レーダーや 5G の ビームフォーミングの入り口です。ハードウェアで方向を決めていたものを、信号処理 (= ソフトウェア) で決められるようになる。フェーズドアレーは元々は軍用の大型レーダー技術でしたが、いまや MIMO Wi-Fi のチップにも入っています。
ソフトウェアエンジニアの世界の言葉で言うと、これは「干渉 = 足し算」の信号処理そのものです。各素子からの信号は離散時間信号というよりも空間サンプルですが、構造は離散フーリエ変換の親戚で、N が大きいほどメインローブが鋭くなり、サイドローブが現れる — DSP で「窓関数の特性」として見たことのある形と、不思議とよく似ています。
7. GPS パッチの「カド削り」— 対称性を壊して回転を生む
最後に、もう一段面白い話に踏み込みます。
街中で見かけるドーム型の GPS アンテナや、車のダッシュボードに置く GPS パッチを観察すると、ときどき正方形のパッチの対角のカドが、ちょこんと切り落とされていることがあります。初めて見たときは「製造ミス? 不良品?」と思ったのですが、これが立派な設計で、しかもエレガントな話なんです。
ここまで、パッチの「長辺方向」の定在波 (TM10 モード) だけを話してきました。実は、パッチにはもう一つ直交する方向のモード (TM01 モード) が存在し得ます。長辺と短辺が同じ正方形だと、両方のモードがちょうど同じ周波数で立てる。直交する 2 つの「揺れの軸」が、同じ周波数で同居している状態です。
普通はこの 2 つのモードを別々に給電して、別々の電波を独立して扱います。ところが、給電点を一つにして、なおかつ正方形の 対角のカドを少しだけ削ると、面白いことが起きます。
カドを削るとパッチの対称性がわずかに崩れて、2 つのモードの 共振周波数が少しズレます。一方の共振点は少し上、もう一方は少し下、という具合。ここで、給電点を対角線方向 (TM10 と TM01 の両方を等しく励振できる 45° 系の位置) に置いてやると、両モードがほぼ同じ重みで励振されます。
さらに、両者の中間 (= ねらいの周波数) で見ると、
- 片方は自分の共振点より下にいるのでリアクタンスが容量性、位相が進む
- もう片方は自分の共振点より上にいるのでリアクタンスが誘導性、位相が遅れる
- 結果として、両者の位相がちょうど 90° ずれる
カドを削る量 (摂動量) は、この「両モードの周波数差」を適正化するためのつまみです。削りすぎると位相差が 90° を超え、削りが足りないと 90° に届かない。ぴったり等振幅・直交位相になるよう、ミリ単位 (mm 以下) でチューニングします。
この「直交方向に揃った同振幅 + 位相差 90°」というのが、円偏波の発生条件です。
円偏波って何でしょう。電波は「電界の振動の方向」を持っていて、ふつうのアンテナから出る電波は、振動方向が一つの軸に固定された 直線偏波です。横向きにしか揺れない波。直線偏波の電波を捕まえるには、受信側のアンテナも同じ振動方向に向いていないといけません。サングラスの偏光フィルタと同じです。
これに対して、円偏波は「電界の振動方向自体が、時間とともにくるくる回る」電波です。同じ姿勢のまま振動方向だけ揺れている直線偏波と違って、受信側の姿勢ズレに対して感度が鈍くなる — 「ある瞬間にはぴったり、別の瞬間にはちょっとズレ」が時間方向で平均化されるイメージです (直線偏波と円偏波の組み合わせなら原理的に 3 dB のミスマッチが残るなど、教科書的な話はもう少し細かいですが)。
GPS の場合は、衛星側も同じ右回り (RHCP) で送ってきて、地上側も右回りで受けます。両側が円偏波だと、端末の姿勢が変わっても、また宇宙空間を伝わる途中で電離層を通って多少偏波が回されても、ミスマッチが小さく抑えられる。衛星が空のどこにいるか分からず、端末がどんな姿勢でポケットに入っているか分からない用途には、これがとても都合がいいわけです。
Python で、直交 2 モードの合成を位相差別に描いてみます。

- 左 (位相差 0°): 同位相で合成。電界ベクトルの先端は斜め 45° の直線上を行ったり来たり。これは斜め 45° 方向の直線偏波です。
- 中央 (位相差 45°): 楕円偏波。直線でも円でもない中間状態。
- 右 (位相差 90°): 同振幅 + 90° 位相差。電界ベクトルの先端がぴったり円を描く。これが円偏波です。
正方形パッチの対角のカドを少し削るだけで、この 90° 位相差を実現できる、というのが工学的にとてもキレイな話です。「形をほんの少しバグらせて (= 摂動を入れて)、位相という時間軸のふるまいを制御する」という発想は、ソフトの世界で言えば、構造体のメンバ配置をひとつ変えただけで実行時の挙動が劇的に変わる、みたいな話に近いかもしれません。
「等振幅 + 90° 位相差」はあくまで理想で、実物がどこまで近づけているかは 軸比 (Axial Ratio、AR) という指標で評価します。AR が 0 dB に近いほどきれいな円、無限大なら直線、というスケールです。GPS パッチの設計でカドの削り量を詰めるのも、目標周波数で AR が小さい値に落ちるよう調整しているわけです。
GPS パッチのカドが削られているのを次に見かけたら、「あ、いま電波回ってんな」と思ってあげてください。あれは設計者がちゃんと考えて、ミリ単位で削っています。
8. おわりに: ポケットの中の小さな宇宙
私がルーターの裏で「ただの板」と思ったあれは、ただの板ではありませんでした。
長辺がちょうど波長の半分くらいになるよう、誘電体で波を圧縮して詰めた共振器。板の縁では電界が立ち上がって、近傍界が空間にしみ出し、遠方では電波になる。下の GND 面は鏡として働いて、上半球に重ね合わせ的にビームを集める。GPS のパッチはさらに、対角のカドを削ることで電波そのものを回転させている。
世界中の数十億台のスマホやルーターの中に、こういう「数センチの小さな宇宙」が、何食わぬ顔でひとつずつ載っている。電波という見えないものを、形と幾何でこれだけ制御できる、というのは私にはずっと驚きで、今回 Python で図を描いてみて、その驚きがちょっとだけ濃くなりました。
今日の話を 3 行にまとめておきます。
- フリンジ電界: パッチが放射するのは板の表面ではなく、板の縁。中央は寝ていて、端で立つ。
- 共振 (S11 の谷): ある周波数で、整合がぴったり合って反射が消える。寸法が数 % ズレると、谷も一緒にズレる。
- 重ね合わせ: 指向性は電波が「曲がる」のではなく、足し算 (= 干渉) の結果。GND の鏡像も、アレーのビーム形成も、円偏波の合成も、ぜんぶ同じロジック。
今度どこかで GPS のドーム型アンテナや、ETC ゲートの斜め下を向いたパネルや、ルーターの隅にぺたんと張り付いた銅箔を目にしたら、その向こうで起きている「波の幾何学」を少しだけ想像してみてください。あの板の中で、毎秒 24 億回、波が端で強く立ち上がり、空に向けて少しずつ漏れ出しているはずです。
おまけ: もう少し知りたい人へ
この記事で意図的に踏み込まなかった話題を、雑にメモしておきます。
- GND 面のサイズ: 図では「無限に広い理想 GND」を想定していますが、実物の GND は有限です。GND が小さいとパターンが崩れて、後ろにも漏れます。実機の測定で「あれ、後ろにもけっこう出てる」のは、これが原因のことが多い。
- 給電点の位置: パッチに信号を流し込む位置で、見えるインピーダンスが大きく変わります。「板のどこを叩くか」で 50 Ω 整合が取れたり取れなかったりします。
- 2.4 GHz と 5 GHz: 「縮むだけ」ではない、と覚えておくと安全です。波長が短くなると、同じ寸法誤差でも電気的には大きくなり、損失や手・筐体の影響も変わります。
- 損失: 「 の谷が深いのに飛ばない」典型例は、誘電体損や導体損で食われています。深い谷 ≠ 良いアンテナ、を頭の隅に。
- 本物のシミュレーション: 真面目にやるなら、FDTD ベースの openEMS や有償の HFSS / CST が定番です。今回みたいに 1 自由度 RLC で済ませているのは、あくまで「現象の骨格を見るための玩具モデル」だと思ってください。
- 電波法と技適の話 (これだけは触れておきたい): この記事を読んで「自分でも板を切ってアンテナを作ってみたい」と思ってくれた方へ、ひと言だけ。自作したアンテナに送信機を繋いで「実際に電波を飛ばしてみる」のは、技適 (技術基準適合証明) なしだと電波法に引っかかってしまうので、ちょっとひと工夫が必要です。電波暗室や実験試験局など本格的な仕組みもありますが、家で手軽に遊ぶ範囲だと、(a) NanoVNA などでアンテナを 同軸ケーブルに直結 したまま を測る (測定機側から微弱な信号は出ますし、アンテナを繋いだ瞬間に放射体としてある程度は外にも漏れますが、シールドのあるテーブルの上で短時間測る程度なら穏当に収まる温度感です。本記事の図 2 と同じ遊びが家で再現できます)、(b) 微弱無線の電界強度基準 (322 MHz〜10 GHz では「3 m 離れた地点での電界強度が 35 μV/m 以下」が目安) を超えない範囲で控えめに、(c) シールドボックスで外に漏らさない、(d) 技適済みの市販モジュール (ESP32 など) を指定された純正アンテナのまま使う、あたりが現実的な選択肢になります。意外と踏みやすい落とし穴が「技適は認証時に指定されたアンテナ構成とセットで効力を持つので、市販モジュールでも外付けアンテナを指定外のものに付け替えると適合外になりがち」というポイントなので、まずは純正のまま遊ぶのが安心です。法律のことを書くと急に身構える話に見えてしまいますが、「気持ちよく遊び続けるためのお作法」くらいに思ってもらえれば。
それでは、よい電波の日々を。
この記事は Zenn に初出したものを加筆・補足したものです ── Zenn の元記事を見る